♪日曜日に『ヴィスコンティの遺香』篠山紀信・写真展/ヴィスコンティ映画祭に行って来ました。無事『若者のすべて』が観れたので,ブレッソンはまだ行ってません。写真展(〜8/19)の方はオリジナルプリントではなく,大きなパネル展示でした。でももうそのままでは残っていないというヴィスコンティの残り香を感じるにはこのくらいの大きさの方が伝わるものがあるんだろーなと思われます。写真集はうーん,欲しいけどー。で,写真展で一番感慨深いのがマンマの写真の間にヘルムート・バーガーの麗しい写真を飾っていたという。
↑写真はコモ湖に行ったときに工事中だったヴィラ・オルモ。
『若者のすべて』だけ観たのは今回上映した7作品(若者のすべて・山猫・ルートヴィヒ・イノセント・熊座の淡き星影・地獄に墜ちた勇者ども・ベニスに死す)の中で唯一観たことなかったからー(他のはちゃんと映画館で観た)。また『地獄に墜ちた勇者ども』を観たいと思ってるんですが,時間が合わないー。
で,映画の方は,370席のホールというのは座席数から結構広いのではとは思ってたんですが,スクリーンもわりと大きくてミニシアターっていわれるような映画館よりもむしろいいんじゃないかくらいでよかったです。そもそもイタリア文化会館っていうのがむちゃくちゃかっこいいビルなんですが。
『若者のすべて』はただただアラン・ドロンが可愛かったんですけど,以上。じゃなくて,5人の兄弟の運命と母の大きな存在は確かにイタリアという国の特に南北の問題を映しだしているんですが,5人のなかで異質なアラン・ドロン演じるロッコという人間からもっと普遍的な問いかけを受け取ってしまいます。ロッコは兄弟の中であからさまに1人美しく,善良で,無私で,心優しく,そのセリフの中にあるように(家を建てるには犠牲が必要),半ば自覚して自分を家族に捧げてしまいますが,彼の優しさは兄弟,特に兄シモーネを救うことはできず,彼の赦しが更に兄を戻れないところまで墜してしまうかのようです。
人が人を赦すことは果たして善なのだろうか,自分を捧げてまでも(才能があっても心優しい性に合わないボクサーとして生きる)他のために生きることって何だろう,と。真に人を赦し,自己を捧げることができるのはキリストだけという大変キリスト教的な気配もちょっと感じます。
原題である『ロッコとその兄弟たち』はトーマス・マンの『ヨセフとその兄弟たち』が意識されているそうなんですが,ヨセフ(旧約聖書の方のお話です)は自己犠牲的人間ではなくて,でも確かに兄弟の中で1人抜きんでていて,最後に自分を陥れた兄達を救う立派な人間ですけど,こちらの物語ではむしろヨセフが父に溺愛され(この父っていうのがまたその母に溺愛されたヤコブなんですけど。わたしはヤコブとエサウの話が小さい頃から納得いかーんと思っておりまして),半ば嫉妬で兄達が曲がってしまうので,どう見ても特別な人間のはずのロッコがただその才能を,自分自身をを家族に与えてしまうのに家族は彼を良くも悪くも特別視しているわけではないところが根本的に違うような気がします。ムイシュキン公爵ぽいのはわかりますけど(ロシア文学でちゃんと読んだのは『白痴』だけっ)。
あと,これは兄弟の話ではなくて,ファム・ファタルのお話なのではとナディアの登場あたりからしばらく考えながら観てたんですが,むしろロッコ達にとってはナディアよりも兄弟達の方がずっとずっと重要で,ファム・ファタルなんていないんだよ,という物語であるのかもしれないです。そして,カインとアベルとか前述のヤコブとエサウみたいな2人の対照的な兄弟の話ではなく,あくまでも5人兄弟と母という家族の物語ですね。
そういえば,イタリアに行く前にミラノのガイドブックで行く前にぜひ観て映画になってまして,確かにミラノ中央駅やドゥオモの上とかそのままで,これはこれであのミラノのことなんだーという妙に感慨深いものもありました。先に映画があって,映画のあの街という印象一辺倒というのも一面的な気がしますしー。