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ars combinatoriaな日々

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鉈切り丸@シアターオーブ(ネタバレあり)

【11/21追記しました】
 

シアターオーブ『鉈切り丸』。11/9と11/16の2回。東京公演は11/8〜11/30とまだまだ続きますが,大阪が先だったのでようやくといった感です。
 新感線は少なくとも生では観たことなくて,いのうえシェイクスピアと言われてもよくわかっておりません。まーフラット?な目線ということで。
 なお元々リチャード三世のファンでした。イアン・マッケランの映画(文字化けした場合テキストエンコーディングはISO2022など)で! また大河『平清盛』で平時忠を演じた森田剛くんは舞台が評価されての(大河への)起用のとことで楽しみにしてました。

 初見は朧な記憶を探りながら(シェイクスピアの)誰と(源氏の)誰がリンクしてるのか考えながら観てて,面白かったけどどうもしっくり来ないなあと思ってました。で,いろいろ忘れてる〜と『リチャード三世』を読み直したり1週間でいろいろ調べて2回目に備えるつもりがやっぱりダメ人間。

 でも2回見てわかったような気がします。ああこれはラストの有名な「馬をくれ,王国をやる」ではなく「羽をくれ」から逆算して出来てる,如何にシェイクスピアと違うかという部分が大切なキャラ造形なのですね。(そこネタばれしてたけどわかんなかったのです←ばかー。馬じゃないのは範頼が馬に乗れないのですぐにわかりますよ)

 範頼(鉈切り丸)にはどうも権力欲を感じない,これが悪漢として見ようとすればピカレスクな魅力に欠けるかもしれない。そして哀れではなくかわいそうなひと。
 愛されたい,美しくありたかった,羽が欲しかったという鉈切り丸の願いは皮肉なことに,葬られ書き換えられた『吾妻鏡』で叶えられます。シェイクスピアが描いたような屈指の人気を誇る悪漢は闇に葬り去られた,いえ元々そんな悪い人はいなかったのです。

【11/21追記】
 ただ醜いことは間違いなくコンプレックスだけど,頭がよさ・人より優れているという優越感の方が勝っているのかもしれない。母以外の周囲は不具に対し冷たくないし,皆異母兄弟で頼朝を除いてそれぞれ微妙な上下関係があり完全なピラミッド型でない。
 それががむしゃらな上昇志向とは違っているのかも。このへん昨年の時忠を連想してしまいますね。 あの時忠は本当に良かった,単純にこずるいのかと思ったら芯の部分がセンシティヴで。

 そういえばかわいそうなひとといえばヴォイツェクですが,あれはただひたすら周囲がひどかった。『鉈切り丸』はよくもわるくも表層的で,逆に 『ヴォイツェク』は観る方もやる方もヴォイツェク自身も内面を削り取る舞台でした。歌があることで心情が表出するのかな。『ヴォイツェク』のこともまとめたいのですが〜。
【追記ここまで】

 またリチャード三世のし上がりと源氏の勃興をものすごく上手く当てはめているんですけど,鎌倉幕府は今まさに成立しようとしていて,確立している権力を巡る争いとは性格が違うというのも,範頼が権力欲・上昇志向だけではないんだろうなというところかも。
 頼朝の生瀬勝久さんのコントパートがちょっと尺長く,政子さんがそもそも強烈過ぎるから既に頼朝は範頼がいなくても傀儡のようで,意外な歴史の裏側というには史実の方が優ってるみたい。

 生演奏が下座みたいなところなのが面白く,その音楽は迫力がありながら終始“哀しみ”が通奏低音のようで,それがまた範頼の悲劇性を予感させ最初から悪漢に見せていないのかもしれません。

 

 2回目の休憩中にコラボドリンク。「異端児」はアルコールできっと寝ちゃうからノンアルコール「野心」で。巴さんに野心は感じなかったですけどねー。

 

 結局ちゃんとに読み直せなかったたけど坪内逍遥譯シェークスピヤ全集から。ハードなお話にかわゆい装幀,活版の文字も旧字も堪らない! 奥付は昭和49年再販,新樹社。初版はいつなんでしょう。古本屋で一目惚れして買ったきりでした。参考画像でマクベスだけ箱入で,あとオセロがあります。新潮文庫は前述の映画のとき読みました。

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