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ars combinatoriaな日々

ジーザス・クライスト=スーパースター アリーナ・ツアー2012

♪今日は朝から現場仕事でただでさえ消耗してたけど消耗してるからこそ頑張って行ってきました『ジーザス・クライスト=スーパースター アリーナ・ツアー2012』。すんごい面白かったです!

 品川プリンスシネマのシアター・ゼロで。ここは元IMAXシアター(あと少し持てばブームに乗れたのに)なので,単に大画面てだけじゃなくてスクリーンがすごく近いので臨場感がハンパないんです。レミゼもかかってるのでもう一度ここで見ようかなと考えてますが、ライブ感あふれるミュージカルをぜひ! 公式サイトによるとプリンスは2/8(金)まで(13:00/18:35)。次の週(都内)は立川シネマシティでこちらも音響が素晴らしいんですが。

 舞台を最初に観たのは中学か高校生(ミッション育ちで既にキリスト教に懐疑的)で初ミュージカル,四季の地方公演でした。聖書の世界そのままなのでエルサレムバージョンかと。そのときはユダが主役!?ってくらいで残念ながらミューファンにはなりませんでした。今回アリーナ公演なので舞台装置よりも音楽が前面に出て,よりもロックな音楽とロックな人物描写が強く伝わったせいかもしれませんが,正に受難曲なんですね。
 (J.S.バッハの)受難曲はマタイの方が有名で確かにドラマティックで素晴らしいけど,ヨハネが好き。トンガってるっていうかクールなんです。「十字架にかけよ!」とか痺れますよ~,バッハはロックと親和性がある。っていう話じゃなくて,受難曲は各福音書がベースで(ヨハネは一部だけマタイも),考えてみたら聖書ではイエスが内面を吐露するのはゲッセマネとエリエリレマサバクタニくらいなんです。

 でもこのミュージカルは過分にエモーショナルにオリジナルの言葉でイエスもユダも歌いシャウトします。でも何を考えてるのかを完全に言語化してるわけではない。ただその心情が音楽に乗り,またその表情で訴えかける。だからスクリーンでアップになるアリーナ公演はその音楽性の表出と共にこの作品にあった上演形態だったのかもしれません。わたしが 演奏会形式オペラが好きなせいも多分にありますけどー。そしてやっぱりALWって天才!(サラ好きすぎ!)

 センシティブでイエスを愛してるユダが素敵だけど,カヤパ様の悪役ですが何か?な存在感に鷲掴みでしたよ! 若者達の疾風怒濤な狂気とシニカルな大人達の対比が動と静で互いを際立たせていたと思います。 あきらかにゲバラぽい造形のイエスもよかった。十字架が浮かび上がるのは目新しい演出ではないけど「この人を見よ!」となりますねえ。

 できればもう一度映画館で観た〜い! 5月にディスクが出ます。そっこー予約したっ。

(追記)
 代休の2/5に2回目見ました。そーいえばいろいろ書くの忘れてました! てゆーかこの公演のことより懐かしいキリスト教の思い出語ってましたー。

 マグダラのマリアが化粧を落として白い衣装になるのは感動的なのに,どーしても肩の“女力”のタトゥーが目に入る度に受けてしまった。
 いや“女力”ってその通りなんですけど。ユダがイエスに与えられず受けられなかった愛は女の力だからこそなんですよねー。そもそも聖書は女性の力をとても評価してるのにパウロめー。その後マルタの妹マリアのエピとかなんでもマグダラのマリアに集約してるのも気に入らない!

 あと,もともと頻出する“3”も目立ちました。BELIEVE BELIEVE BELIEVEとキャッチが入ったゲバラぽいイエスのポスターが3つ並んで,これはペテロの否認(三度知らないという)を想像させる。でもは受難曲で超盛り上がる否認もここではユダを立てるためにペテロはちょっと薄味かなあ。
 マリアの香油は銀貨300枚なのにイエスを売ったユダが得たのは30枚。でもこれは聖書には香油は300デナリなんですが。他にイエスの布教が3年だけど,30年にも90年にも感じるとか,39回ムチとか。

 長い髪のユダの造形がいわゆるキリストのイメージぽい気がする。黒髪のイエスは肖像画で流布されたイメージではあるけど,二人のキリスト的な? カーテンコールが二人並んで出てきたようにどちらかが,ではなく二人が主役。若く美しいキリトはうれしいな。英雄は高めの声だよねー。
 受難曲ではバスなんでちょっと年配の人が多かったりするけど,わたしの理想のシュテファン・マクロウド(スイス)はとっても若々しくて美しい声なの~。とやっぱりジーザス以外の話過多だったりする。

 そうそう『駆け込み訴え』読み直しまして,ああ太宰ってヘテロなんだなあとちょびっとあきれました(ごめんなさい太宰は基本ダメなの)。この『ジーザス…』ではイエスを同じく“just a man”と歌いながら愛憎半ばして,あたかもマリアになりたいマリアのように素直に愛し愛されたいと希求する。でももっともっと理想のキリスト像を追い求めるからこそ否定してしまったのねー。愛する人であり,またあるべき自分であったのかもしれませんね。せつないわ…。

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