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ars combinatoriaな日々

ベジャール《M》

モーリス・ベジャール《M》,東京バレエ団@東京文化会館,12/18(土)。  気になってたけど,なんとなく気が進まなかった《M》を小林十市さんの2日だけの復帰に乗せられて観ました。十市さんてなんてゆうか品があっていいんですよね。
 Mはもちろん三島由紀夫ですが,ベジャールのMであり,死(Mort)。解説によると更に作曲の黛,海(Mer),変容(Metamorphose),神話(Mytologie)でもあるそうですが。
 そしてその死を演じるが初演の十市さんで,なるべく予備知識をいれないようにしてたので知らなかったんですが,三島の人格を形成したともいえる祖母として少年を連れて登場します。少年は成長し…ではなく,3人の分身の青年となっても重要な場面を演じるのは彼です。そして常に“死”が寄り添っている。観念的なようでいて非常にわかりやすいです。弓道の弓を引いたら聖セバスチャンが現れるとか死の瞬間にそれまでの人生が走馬灯ように周り踊るとか,そこまでしなくてもという過剰さもありますが。そもそもベジャールって,そんなにむつかしいことをやらないような気がします。そして三島の作品も実にわかりやすい。難解なもの=崇高で素晴らしいことではないという典型というか。

 舞台は男性達が重要な役割を負ってますが,印象的だったのは最初と最後の女性ダンサー達の演じる海,そして録音の音楽の中唯一生演奏だった舞台上の女性ソリストピアノによる《トリスタンとイゾルデ》。これも三島が思考していたのが男性であっても女性的なものを否定しているわけではないという理解です。《トリスタンとイゾルデ》はもちろん映画『憂国』で三島自身が編集して使ったというのが大きいのですが(映画館で観ちゃったしー),録音のオーケストラはなくピアノというのが,この張りつめた音色ですごく耳に残ってます。
 女性ダンサーというと『禁色』のがもうひとつわかんないんですが,読んでからだいぶ経ってるので読み直そうか(でも2部はあんまり面白くないんですけどー),それよりまだ読んでないのがあるのでこの機会に埋めた方がいいのではと思いつつ,『仮面の告白』を読み直してます。あっ,わたしは『潮騒』もすごい好きなのー。
 今回M席って後出しで前の席がお得チケットが出たので思い切って行ったんですけど,そんなんで目の前に圧倒されたのもありますが(でもちょっと見切れたり,前の人の影になったりしますけど),やっぱりバレエは解説や映像で済ますんじゃなくて生で観るのが一番だなーと改めて思いました。いやバレエに限らないんですが,言語に頼らない身体表現って特に。
 あらすじを述べる必要なく表現出来るので,『豊穣の海』4作を見てみたかったなあ。衣装に無理がありますけど,バレエダンサーなら勲君もジン・ジャンもなんでも出来そう。そうそう,こないだ出た別冊太陽が面白かったですよー。

オーストラリア・バレエ団マーフィー版《くるみ割り人形ークララの物語》

オーストラリア・バレエ団来日公演,グレアム・マーフィー振付。10/16(土)東京文化会館。
 《白鳥湖》があんまり素晴らしくて,1幕のあと休憩で当日リピーター割引をしてた《くるみ》を慌てて買っちゃいました。《くるみ》はいくつか観たオーソドックスな演出は全然つまらなくて,唯一ピーター・ライト版だけが何度見ても楽しく美しく英国的演劇性のある舞台でした。もうひとつのくるみ割り人形がドロッセルマイヤーの息子って演出も観てみたいんですけど。今回のマーフィー版はプログラムにオーストラリアに渡ったバレエ・リュスというオーストラリアのバレエの祖ともいえる歴史に繋がり,つまり映画『バレエ・リュス 踊る歓び,生きる歓び』にも描かれたその後のバレエ・リュスの姿というのをすっごく観てみたい!あの映画が良かったんだから観なくちゃ!という期待でした。

 これも《白鳥湖》と同じく単に読み替えというだけではなく,正に“ 踊る歓び,生きる歓び”をくるみの曲に乗って表現してます。ただある程度予備知識が必要で,エンタテイメントというよりもむしろバレエという舞台を借りたドキュメンタリーみたい。
 音楽は2幕はだいぶ順番が変わってましたが,1幕はほぼそのままなのではないでしょーか。クリスマスが真夏のオーストラリアを舞台に巧妙に当てはめてます。老いたクララは小さなツリーを買って帰って来て,バレリーナ時代(あえてダンサーではなくバレリーナ)の衣装から首飾りみたいので飾り付けます。それは豊かではないというのとかつての雪のロシアのクリスマスを思い出す伏線にもなってます。そして昔のバレエ仲間が集まり,更にドロッセルマイヤーの代わりに若い主治医が映写機を持って現れ昔の映像を皆で鑑賞します。主治医にクララのかつての恋人だった将校を思い出させます。
 というあらすじながら曲はコロンビーヌだーとかよく知ってる場面を想起しつつ違和感がないのが面白い。ねずみ達が軍人のロングコートを着てるのがおかしいけど,おかげで自然にロシアの場面に繋がって行きます。ただ1点最後まで違和感だったのが,クララは現在の老クララと少女時代,帝室~オーストラリアへ渡る若い姿と3体なのですが,少女クララが日本人なので,1幕のナットクラッカーじゃなくてマトリョーシカの中から出て来た何故か日本人の少女が実はクララだったと繋がらないのです。

 ボリシェヴィキのねずみ達との戦闘,松林~雪片のワルツとクララが雪のロシアへ戻り2幕は完全にクララの回想になります。ロシア革命の戦闘などエイゼンシュタインの映画を使ったそうですが,舞台の後ろに背景的に使うのか思ったら,全部紗幕がかかって舞台全体を包んでしまったりでこれだけ大胆に映像を使うのはバレエはもちろんオペラでもないかもー。
 その後恋人の将校のとの出会いと彼の死があるので,先にパ・ド・ドゥや花のワルツがかかって,ええっもう?というのはありますが,後は上手くエキゾチックな曲を並べます。

 クララが最後の舞台に上がる場面でいよいよエンディングに向かうんですが,この舞台の向こう側にフットライトが並んでるというだけで,わたしたちは最後の舞台を務めるクララを後ろから見てるんだなーというのがわかるんです。そしてやっぱりクララは現実の世界に戻り,恋人に似た医師のそばで息を引き取ります。その姿は少女クララ,若いクララに重なり,1幕から何度も出て来たマトリョーシカのようでもあり,その入れ子になった姿はまるで今日のオーストラリアのバレエを築き上げた礎はこういったダンサー達の上にあるとゆーメッセージに上手く乗っかったようです。
 もう一度見たいと思うのは感情に訴える《白鳥の湖》ですが,これはこれで一度見ておくべき舞台という非常に有意義な機会でした。

オーストラリア・バレエ団マーフィー版《白鳥の湖》

♪どうもタイミングを逃すとどんどん遅れてしまいますが,やっぱり上げておきたいオーストラリア・バレエ団。グレアム・マーフィー振付《白鳥の湖》。10/9(土)東京文化会館。
 ダイアナ妃ネタということで前回来日時から気になってたんですが…。単なる読み替え解釈ではなく演出も振付も普遍的なテーマを表現し,バレエとしても美しく,美術・衣装・照明もスタイリッシュでした。

 美術がシンプルで,デザイン性はもちろん空間を広く使うように出来てるのと共に,空虚さという演出にもなるのかしら。衣装が引き立つし。その衣装は群舞のタイトなスーツも素敵なんですが,特にオデットと男爵夫人(オディールの役回り,ロットバルト夫人という設定)が白と黒と1幕から全てが対照的に登場します。この舞台では1幕はオデットと王子の結婚式で,つまり1幕からオデットが登場し,オディール(男爵夫人)も一人二役ではなく,結婚前からの愛人として現れオデットの精神を壊してしまいます。このときの男爵夫人は白いレースの下に黒が透けて見えるドレス。

 2幕はサナトリウム(というか精神病院)に入れられたオデットが見た夢がいわゆる白鳥の湖のシーンになります。このイワノフの振付はどーしても変えられなくて,これをどうやって持ってくるかが読み替え演出の見せ所です。真っ白い病室に入れられて,看護婦(看護士)達の白い制服が白鳥になってしまうのです(ちょっと救急ワルキューレを思い出してしまった)。白鳥達の中でオデットだけに王冠が着くのでは?とおもったけど,皇太子妃になりたいという野望や権力欲はなかったということなのかしら。

 3幕は通常王家の主催の舞踏会だけど,男爵夫人のパーティにオデットが登場という趣向。1幕で王子の友人ぽい二人(公爵と伯爵らしい)が妙に目立つなあと思ったんですけど,ここでもまず二人が登場して,ようやく,ああ道化の役回りだったのかーと気付く。
 オディールを独立させるので女性の2面ではなく,もう一人,ジークフリートを愛したオディールの気持ちはどうなの?という部分を描いている演出です。あんまり踊らない役なのかな~と思ったんですけど,ここでオデットを迎えて踊ったソロはむしろ叙情的でした。1幕であの32回転の曲を使ってしまったので(もともと1幕の曲),ここでは32回転しないんですけど,1幕オデット,3幕オディールの32回転対決をしても面白かったんですけどー,ってそういう積極的にわたしが!っていう二人ではないのです。3幕は黒いドレスのパーティだったようですが,男爵夫人の黒いドレスの下に今度は白が見えるのです。

 4幕は黒鳥の世界ですが,ブラックスワン=オディールではなく,いつもの白鳥に混じって黒鳥が出て来るのを全て黒鳥にしたイメージ。オデットが白いウェディングドレスを脱ぐと黒で,=死,死の世界ということでしょうか。
 そんなふうに白と黒を意識的に使いながらも,白=オデット,黒=オディールと役割分担や象徴的な色 が決まっているわけではない。流動的というより誰でも白と黒を持っているような,決して彼女達の物語で終わってはいないようメッセージを受け取りました。音楽入れ替えなども積極的に変えていこう!といのではなく,演出意図がありかつ本質に迫って選んだという印象です。振り付けそものものはちょっとアクロバティックだったかもしれないけど。

 1幕からわーすごいっいい!と終演後スタオベしたくてうずうずしてて,なかなかそういう雰囲気がなかったので,ようやく最後の最後立ち上がったら周りの皆さんも立ったので,なんだーみんなスタオベしたかったんじゃないかーという不思議な客席でした。直前に出たお得チケットだったので周りも割と半信半疑だったのかもしれません。次また来日公演があったらぜひ何度でも観たい舞台でした。

愛が私に語りかけるもの-奇跡の響演 ベジャール&イスラエルフィル

♪実は週末北京に行くので貴重な休日なのに,チケットが取れてたので,奇跡の響演に行って来てしまいました@東京文化会館。
 メータ指揮イスラエルフィルがピットに入って,ベジャールの《ペトルーシュカ》《愛が私に語りかけるもの》《春の祭典》をそれぞれ東京バレエ団,ベジャールバレエ団,合同出演で上演。シカゴ響&東京バレエ団ってのがあって高過ぎてパスしたんだけど,今回エコノミー券が取れたら行こう…くらいの消極的な気持ちで。だってベジャール版の春祭もペトルーシュカも観たことあるし(録音テープだけど),春祭はイスラエルフィルみたいな美しい弦とかじゃなくて,むしろロシアのガンガン鳴らしてくれるので観てみたーいと思ったました。

 がっ,まったく未チェックだった《愛が私に語りかけるもの》が素晴らしかったです(他の2作品ももちろん良かったです)。マーラーの交響曲第3番の4・5・6楽章をそのまま使うのですが,特に器楽のみの6楽章「愛が私に語ること」が素晴らしい。ああこのためにイスラエルフィルなのかーと。バレエもその前に《ペトルーシュカ》だったので,こちらは元の振付のイメージが大き過ぎたりメッセージ性が強すぎるのに比べて,音楽をちゃんと聴きながらもちろん舞台にも集中出来てという音に寄り添った表現なのかも。スローモーションの動きなどむしろすごい身体能力の上に成り立っているのでしょうけど,それがただただ美しい。
 5楽章のビムバム♪が好きなんですけど,カラフルな如何にも天使ではない子供ぽい衣装で,前後の4・6楽章の2人の男女と色彩のない世界へのアクセントになってる,最後の最後の太陽?と黄色い衣装の子供(日本公演だから日本人キャスト?だったらあんまりうれしくないなあ)は多少蛇足感があるけど,これがないと愛=男女にまとまってしまいそうなのでもうひとつ打破すべき演出なんだろうなあ。

 4楽章はニーチェの『ツァラトゥストラ』からです。わたしニーチェがすげー好きなんですが,昨今では大きい声ではなんだか恥ずかしいこの頃です,きいっ。副題が「人間が私に語ること」になってるので,いや闇が人間に語ってるんですけどと思ったら,手元のCD(たまたまメータ/イスラエルフィル)は「人(あるいは夜)が私に語ること」で5楽章が「天使(あるいは朝)が私に語ること」でした。マーラーのいい意味での俗ぽさにニーチェは合いますねえ。超人思想って厭世的ニヒリズムとは違うし(でもでも元気が出るちょっといい言葉じゃあないよっ)。聴いて帰りたかったのに3番はiPodに入ってなくて,帰ってからCDを発掘したんですが,今iPodいっぱいいっぱいで何かを入れるには何かをはずさないといけないくらいなのです。大容量のを新調しないとダメだー。

 あまりにもマーラーが素晴らしかったので終演ではないのにスタオベしました。このあと春祭なくてもいいのに~ってくらいでしたが,実際ぼーっとしてあんまり集中できませんでしたよ。どうせなら1~3楽章もオケだけにして全曲やってくれればいいのにー。って1楽章だけでも30分強だし,ずっとピットで演奏していただくのは申し訳ない。1~3を舞台でやって休憩して降りるとか~。いや復活みたいに1楽章と2楽章の間を空けること!みたいな指示があればともかくー。っても復活でも休憩を入れていいわけないけど。じゃあマーラー特集でアダージェットと,ええとあと《亡き子をしのぶ歌》を使った《暗い悲歌》ってのがあります。でもベジャールじゃないからダメか(アントニー・チューダー1937)。まあそもそも春祭あっての企画なんだろうなあと思うのですけど。

 それにしても東京文化会館はいいなあ! 今回とかあと今のトコ生涯ベストオペラなベルリンフィルのトリイゾとか文化会館の響きあってこそだと思うのです。あの暗さがクラヲタ的満足度を更に上げる…。カーテンコール中,ピットがあっという間に空になってああきっと舞台に乗るんだろうなと思ったんですが(前にもオケが舞台に上がったのがあった),拍手が圧倒的にオケに一番多かったんですよ。ロビーもバレエな女性客よりオケな男性客が目立ったしー。ちなみにエコノミー券ってどういう席かというとわたしのは4Fの舞台に一番近いバルコニーの3列目(最後列)なんで,舞台は多少見切れるんですが(オペラシティより全然マシ),ピットと舞台が両方視界に入ってこの企画にはむしろよかったかも。あー行って来てよかった!

アポクリフ

♪ここのところハシゴが多いんですが,9/4・5・6もいろいろ出掛けてました。それがまだ残ってたりして。マン・レイ展のあとに『アポクリフ』@オーチャードホール
ベルギー王立モネ劇場制作,演出・振付・出演:シディ・ラルビ・シェルカウイ,出演:首藤康之、ディミトリ・ジュルド(サーカス),コーラス:ア・フィレッタ,衣裳:ドリス・ヴァン・ノッテン

 全く先入観なく観に行ったんだけど,これは面白かった! 「外伝カインとアベル」(って知らなかったけど,面白そう~)を皮切りに,神が作ったものではない“物語”とのことですが,バックボーンの違う3人のパフォーマーの繰り出す世界観の違いが作用して身体表現で語る舞台です。中でも首藤さんが本格的に踊り出すとクラシックバレエの動きってやっぱり人間としてすごく不自然なんだな~と思います。その唐突感が面白いけど,でもでもそういうの高校の頃学園祭でわたしたちもやったんで(突然トゥシューズのバレリーナがくるくる…),まあお約束の使い方かもしれませんけど。
 日本的なものを取り込みたかったみたいで,首藤さんは筆を持ってジュルドの身体に墨で「大義」とか書き出すんだけど,おいおいここで言語,メッセージ性?と思ったら,それにシェルカウイが筆の使い方を知らないかのように適当に加えられてちゃって,更にゴロゴロしたのと汗で全部床に着いて消えちゃうの。物語も言語も本も全て否定したかのように,身体表現が残るということなのかなあ。本はもともとオブジェというか扱われ方がとても否定的で,最初から踏みつけちゃうし,最後は刀さされちゃうし。人形も途中から息が吹き込まれたかのようにもう1人のキャストのように振る舞うんだけど,これも最後に刀さされちゃう。それは人としての死ではなく,やっぱり木偶ではないか!という。
 合唱も素晴らしくまた不思議なア・カペラで,ああこれも単に歌唱力を買われただけではなくて,器楽を伴わないという身体性を重視してるんだろうなあと合点が行きました。
 ちょっとホールの規模には寂しい客席はずっと半信半疑で見てた空気だってたけど,最終的にはスタオベになっちゃって,みんなすごいけど何だったの~?とのプログラム販売に群がってました。セットが大きいから無理だろうけど,これコクーンくらいの規模のホールで出来ればもう少し客席を巻き込んだ熱がもっと早く伝わったろうし,舞台も良く見えた方がよかったのにな~と思ったのでした。
 主催のひとつ,ローソンのサイト

速報!オーストラリア・バレエ団マーフィー版《白鳥の湖》

オーストラリア・バレエ団行ってきました。すばらしいっっっマーフィー版《白鳥の湖》。ダイアナ妃ネタということで前回来日時から気になってたんですが…。単なる読み替え解釈ではなく演出も振付も普遍的なテーマを表現し,バレエとしても美しく,美術・衣装・照明もスタイリッシュでしたー! 東京公演はあと明日11日15時東京文化会館,名古屋で21日愛知芸術劇場です。
 リピーター割引販売してたので,明日の白鳥じゃなくて《くるみ》買っちゃいました。だって感動した映画『バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び』に繋がるらしいのでこちらも超期待なのですものー!!

ベジャール・ガラ/ギエムのボレロ

東京バレエ団ベジャール・ガラ@ゆうぽうと,2/7マチネ。去年グランプリ・ファイナル行きが絶望的になった頃追加公演のお知らせが来たので,うっかりポチっとしてしまいました。ギエムのは一度観てみたったんですが最後のツアーを取るという気力の時点で負けてまして。で,あくまで《ボレロ》しか眼中になかったので,他のプロは直前に再確認ってくらい。各公演3演目で必ず《ボレロ》が入ってる全国ツアーなのです。
 《ペトルーシュカ》は,えっこれってフォーキンの以外もあるのってくらいの認識(ベジャールの他にはノイマイヤーなどなど多数振り付けてます)。若者が自らの深層の虜になる様を仮面や鏡を用い,それが観客自身の問題へと突きつけられる…といった呈でしょうか。ただ《ペトルーシュカ》はフォーキン版が人形達の物語を描いているのにそれが作り事他人事ではなくペトルーシュカの哀しみが音楽と共に迫ってくるのがすごいなあと決定版過ぎて…。いやベジャール版もなんの予備知識もなしの初見でしたがももちろん面白かったですよ。これは首藤さんで観てみたかったかなあ。
 《ドン・ジョヴァンニ》はよくわっかんないですねえ。曲はショパンのです(「お手をどうぞ」の主題による変奏曲)。目に見えないドン・ファンに夢中な娘達と時折現れるシルフィード。

 最後にいよいよ《ボレロ》です。あきらかに客層はギエム目当てで普段のバレエ公演とはちょっと雰囲気が違う。今回S席が取れなかったので2階のA席だったのもあるかしら。ただこういうあからさまなワクワク感は結構好き。
 メロディが女性のベジャール版《ボレロ》は初めてです。2階席というのもあって基本オペラグラスを離さず(それでもゆうぽうとはかなり舞台が近いいいホール♪),ほぼギエムばかり見ていたせいかもしれませんが,男達の中に女一人みたいな対比/強調ではなく,そこにただシルヴィ・ギエムが,いやただ踊るために全てを削ぎ落とし鍛え上げたひとつの肉体が音楽と共にある!という印象。
 これはもちろんボレロという音楽が終始一定のリズムの上でメロディを様々な楽器が奏でつつクレシェンドしていくという一種麻薬のような陶酔感を与えるのも大きいんだろうけど。《ボレロ》はそもそもバレエのために作曲した音楽でもあるんですが,音楽を視覚化するのにバレエが一番適しているのではないだろーかと思うことが何度もあるのです。ストラヴィンスキーなどなど音楽だけで十分その素晴らしさ特異さを感じる事が出来るけど,一度は舞台を生で観て欲しいなあ。

ボリショイバレエ:ショスタコーヴィチ《明るい小川》

♪水曜日にボリショイのショスタコバレエ《明るい小川》観てきました@東京文化会館。週末韓国計画があったので無理だと思ってたので,最初で最後の公演チャンスでしょうから行けてよかったです。プレトークはさすがに間に合わなくて残念。前日の岩田守弘さんのプロフェッショナルの放送(これはとてもいい番組でした)のおかげかマニアックな演目のわりには客席いっぱいで素晴らしい。マニアックというかショスタコといっても明るい喜劇です。ストーリーはわかりやすくばかばかしいのにやってることが正にクラシックバレエ!の技術満載で,脇役もあからさまに難しいことをやってるというのがまた面白いんじゃないでしょーか。シリアスな演目のパロディ的な部分もあるし。オケもボリショイ管なのがよかったし。まあロシアのどんがらがっしゃんなバランスの悪さを期待してましたが,バレエ音楽の編成上パーカッション炸裂とかはないですね。
 公演前に吉松隆さんが書いてますが,ショスタコは時代背景とかなくてもその才能は花開いていたことと思いますが,あの時代だからこそ描かれた彼の二面性とか諧謔性あってこそのショスタコが好きなんですよね。今なんとなく気分で7番をリピートしてます。

アメリカン・バレエ・シアター《白鳥の湖》

♪名古屋は写真のトリミングやリサイズしてからってことで,順番にまずはアメリカン・バレエ・シアターの来日公演《白鳥の湖》です。これはマッケンジー版の日本初演で,ロットバルトが2人という煽りでずっと気になってたんですが,ソワレでも仕事帰りじゃ間に合わないし,名古屋は4公演のつもりだったのでどーしよーかなー観たいんだけどな~とギリギリまで迷ってました。で,結局追加公演のアナニアシヴィリの行って参りました。夏休み取ってマチネです。

 白鳥湖はどーしても演出・解釈を中心に観てしまうんですが,今回はとにかくアナニアシヴィリのオデットとオディールから目が離せませんでした! 1階席なのに彼女がいるとオペラグラスが離せません。表情はもちろん全身からしてたおやかで品があってでも凛としたオデット。3幕では,誘惑するというよりその存在自体が魅力的過ぎて何の作為もいらないのではというオディールは非常に豊かな表情で蠱惑的。もう一人だけで《白鳥の湖》の物語で,今更ながらオデットとオディールのストーリーなのねと再認識しました。

 そんなわけで,この演出の目玉のロットバルトさんなのですが,わたしがアナニアシヴィリに目を奪われてたせいかそれほど存在感は感じられなかったかも。物語としては非常に彼を中心に作られていて,まず前奏曲の間に人間オデットが白鳥に変えられるところから始まるのですが,醜い悪魔としてロットバルトが登場してオデットを見つけると美しい人間の男に変身して(これが2人で演じ分けられる)オデットを誘惑して白鳥に変えてしまう。2幕は悪魔,3幕は人間。3幕ではロットバルトがソロで踊り,花嫁候補達(民族舞踊が姫達の国の設定でわかりやすい演出)や女王までも誘惑しているよう。だからオディールはオデットと間違えられたというよりジークフリートは確信的にオディールに魅入られているように感じました。4幕は2人が湖に身を投げることで魔法を解いて,最後は来世でのハッピーエンド。

 終始ロットバルトが物語の軸にいるはずなんですが,もーひとつ存在感が薄いのはむしろ美しい男性として踊ってしまうがために,邪悪さ故に惹かれてしまうようなロットバルト自身の悪の魅力を放棄してしまっているからなのかもしれません。うーん,プリンシパルにやらせてしまうくらい思い切りがあれば違ったかもしれないけど。
 これまで観たロットバルト達の方が,例えば鳥の羽を付けて身軽で最後に羽をむしられる姿が痛々しいとか,ブルメイステル版の3幕で自分ではなく民族舞踊集団を使って舞台に魔法かけるかのように幻惑させるとか。昨年の氷上のインペリアル・アイス・ダンサーズのロットバルトは小柄だし若くもないのに,それが禍々しさと共に人間らしさを感じさせて惹かれずにはいられないような,ロットバルトであるが故の魅力を存分に発揮していたかもしれない。彼を魅力的にという発想のはずなので非常に惜しい。

 舞台全体としては1幕の友人達の衣裳はじめ衣裳や美術が美しかったです。1幕で質感がしっかりして随分立派な衣裳だな~と思ったら貴族と村人達という設定らしい。随所に説得力のある演劇的な演出ですね。あの貴族の衣裳は重くて踊りにくんだろうなーと思われますが,長い綺麗な裾が舞って素敵でした。
 7/24東京文化会館。オデット/オディール : ニーナ・アナニアシヴィリ,ジークフリート : ホセ・マヌエル・カレーニョ,ロットバルト : ヴィターリー・クラウチェンカ,ジャレッド・マシューズ。

ブルメイステル版《白鳥の湖》

♪29日に国際フォーラムにて。めずらしくホールCで舞台モノです。98年に初めて観て以来,3度目(98年の感想は今読み直したら意外にベタ褒めではなかった)。招聘事務所も変わって久しぶりの来日ですね。
 今回チケ取りに気合いを入れて初日に電話したら,その場で座席を教えてくれたけど6列目で,前すぎるけどいいか~とは思ってたけど,実際はピット作って2列目でした。そう言ってくれたらもう少し後ろに出来ないか聞いたのにー。舞台全体が一度に観れなくて,まあ何度も観てる演出だからいいんですが(初見のお友達にはもうちょっとバランス良く観て欲しかったけど),それでも一番の見どころの3幕はすっごい迫力で良かったです。そしてロットバルトさんが結構若くて素敵だった。この3幕は民族舞踊がロットバルトさんの手下という設定で,照明やマントなどで禍々しく幻惑するんですが,ロットバルトさんが素敵なので,オデットはおバカ王子よりこちらの方が素敵だと思わないかしら~なんて。ハデスに攫われて女王様になったペルセポネみたいに。ただ今回ホールのせいか全4幕間に全部休憩が入るので(たぶん前はそんなじゃなかったと思う),ブルメイステル版の物語性(人間オデットの白鳥への変身と,元に戻るハッピーエンド)の流れが途切れてしまったのと,3幕と4幕の動と静の対比が薄れてしまったのが残念でした。
モスクワ音楽劇場バレエ・来日公式サイト