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ars combinatoriaな日々

『美の呪力』

 昨日の余震,余震というには大きかったですねー。東京では長かったけど震度はそうでもなくて,でもしばらくどきどきしちゃいました。東北の方などさぞ恐ろしかったと思います。今回は特に夜だったので停電したりと心配です(停電は今もらしいですね)。大きい津波は来なかったのが本当によかったです。

 『今日の芸術』に続き,『美の呪力』(新潮文庫)を読んでます(大きいのは芸術新潮とCasa BRUTUSと図録と『岡本太郎と太陽の塔』とこれから別冊太陽)。まだ途中なんですけど,これすごく濃くてイイ! 創作者としてより思想家・文筆家としての評価が高いというのもよくわかります。テーマは石,血,怒り,仮面…。美術いえ芸術という枠ではなく,東洋・西洋・中南米…,点景ではなく有機的に繋がり,もっと広くて深くてそれでいて詩的なの。

 “怒りはリアクションではない。(中略)華やぎつつひらき,宇宙をみたしているのだ”

 熱い想いと冷静で論理的な語り口,知れば知るほど,ますますこの人は面白いと思うのです。

 「TAROの塔」で太郎さんを演じた松尾スズキさんが美姫ちゃんのファンらしい?(なくした携帯の待受!)ってのが今すごくヒットしてます。実は「TAROの塔」は初回をスルーしてしまって,TVブロスの特集でこれは見なくては!と再放送に間に合ったのでした。その後はかなり時間がイレギュラーになってしまったので,どこかでまとめて(出来れば地上波で)再放送をしてくれるといいなあ。

 更に関係ないけど,今日から始まったNHK-BSプレミアムの「BS歴史館」ってなかなか面白い。またクイズ番組か?とかそんなの知ってるし~みたいなお話とかじゃなくて,第1回はヴィクトリア女王の英国王室だけど,英国専門の人ばかりでなく片山杜秀さんや(フランスものの)鹿島茂さんとか論客が揃ってます。 突っ込みは必要だけど,中村うさぎのポジションは他に誰かいなかったのだろうか…。日曜日に再放送があります。

オブジェの方へ-変貌する「本」の世界@うらわ美術館

♪オブジェの方へ-変貌する「本」の世界@うらわ美術館に行きました。浦和駅に降りるのは2001年の日本代表vsイタリア代表でさいたまスタジアムにシャトルバスで行ったとき以来です。あのときは記念イオカード売ってましたねー。しっかり買いました。美術館は駅から徒歩7分てありますが,商店街を抜けてくのであんまり歩いた気はしません。てか,よくレッズ関連で取材されてるとこだ。で,レッドボルテージの近くでした。←レッズのオフィシャルショップ,なんとなくそーいう名前を記憶しているのはなんだろー。
 この企画展は,いつもチェックしてる新日曜美術館のアートシーン(本編は面白そうなときしか見ないのに)で知ったんですが,本を削ったり焼いたりってどうだろうと思いつつ,気になるので行ってしまいました。やっぱり気になるのは行くべきですねっ!

 うらわ美術館の開館10周年記念展で「本をめぐるアート」を収集の柱にしているとこのことで,すべてコレクションからの出品です。「海外の作品から」「国内の作品から」「箱・鞄」「焼く」「展開と広がり」の5つの章立てをしていますが,内容的には本を使ったオブジェ/オブジェでできた本,紙でない本,展開または内包としての本って印象です。
 “本を使ったオブジェ”が一番想像しやすいと思いますが,福田尚代さんの本に刺繍してしまったり,文庫本をけずって羅漢に見立てたり,岩波文庫のグラシン紙(あのカサカサした半透明のカバー)に表紙のインクが写った状態,とかなんだかやたらカワイイ。刺繍も本を縫っちゃってるんだけど,くしゅくしゅしてカワイイ。安東典子さんの本をくり抜くと地層のように見える。これがもともと本が持っている断層なんだけど,外側を残さないと形状が保存されないので,凸ではなく凹で潜って行くのがなんだか象徴的なのです。そして焼いても本の形は保っているし,破壊して何か違うものを表現するではなく,あくまで“本”なのですねー。
 “オブジェでできた本”,荒木高子さんの陶芸で出来た聖書はテキストは聖書の見開き部分に過ぎないんだけど,まるで聖書が化石になったみたい。山口勝弘さんの「LIBER LIBER」は鏡面に囲まれた箱形に過ぎないのに,表紙と背表紙があるだけで本に見える。またこれを本棚に入れたり小脇に抱えたりした状態に写し出される風景を撮影した写真も合わせ,これが本だと意識するとまるでその映し出された世界が本の中に内在化するよう。「鏡の本は世界を開封する」というテキストが添えられているけど,世界は本であり,本は世界であるというかのように,単に鏡面のボックスというだけではありえない,本て何?本って世界だよねっていう何か根本的なものが浮かんでくる。オブジェ化したのに表層ではなく本質について問いかけてくるって面白い。

 “紙でない本”はあくまでも本として制作されてもの。銅板の「機甲本イカルス」は1点ものではなく販売を想定したらしいとか。“展開または内包としての本”はまずデュシャンのご存知グリーン・ボックスやトランクの箱なんだけど,これらは『大ガラス』に至る思考の器として本,トランクの箱カタログというか持ち運べる展覧会だけど。ここの展示は壁面のガラス越しに展示されてるのがよく見えてとてもよかったと思います。更に展示することにより“本”になったのかなあというのがCD-ROM(村上三郎『記憶体』)の中身をプリントアウトして壁一面に展示してるんだけど,これは明らかに1点1点じっくり見るようには貼られてない。これだけのものが入ってますよというのが一覧される。そういう意味では単なるデータ群ではなくパッケージされ完結しているものです。そういうのを見てるとテキストデータのみの配布や電子ブックというのは本であって本ではないのかなー。物理的にはもう目が限界なので紙で読めるものは紙で読みたいですけど。
 そんなわけで,とりとめないですが,見たものを見たままでなくいろいろ考えるのは楽しいなあ。1/24(日)までです。土日は20時まで開館してます。
 久しぶりに頭が廻ってそうなので,展覧会でもちょっと触れてたベンヤミンの『複製技術時代の芸術』(晶文社)がちょうど本屋にあったので読んでますー。が,これはまたちょっと違う話ですね。写真更に映像の発明による変化あたりの時代ですが,テクノロジーありきで変容するのではないとか,ええとまだ途中です。

『澁澤龍彦との日々』

♪すっかり幻想文学の棚に寄り付かなくなったので,今頃読みました『澁澤龍彦との日々』澁澤龍子著,白水Uブックス(初出は2005年)。白水社の立ち読みページ
 澁澤さんの奥様龍子さんのエッセイです。軽やかな出会いから最期の日々とその後と。著作に龍子さんの名前が出るのは『滞欧日記 』かなあ。その前に『旅のモザイク』だったかしら。なんだか夫婦というより年の離れた兄妹ようにも逆に母親のような印象もある不思議。そもそも“龍子(りゅうこ)”って名前がすごい!と思ったんですが,一回り離れた辰年同士なのだそうです。そういわれればなーんだという気もしますが。そもそも澁澤さんの奥さんって!むしろ独身で~くらいのノリなのにすごく自然に感じてしまいます(矢川さんのことはあんまり知らないんですけど)。
 澁澤さんはありがちに『少女コレクション序説』あたりから読んでますが,耽美というには乾いた文章だなーと思います。が,龍子さんと結婚されてから海外旅行に出て,そういえば時系列を意識しないで読んだ『旅のモザイク』がなんだか随分開けた,こういうものも書くんだ~と感じた記憶があります。そもそもプロポーズめいた「世界中どんなところへでもきみを連れてくから」といいつつ,自分は海外で出たことない(んですよね…)ってある意味すごい。
 この本は最初菊地信義さんの美しい装幀(Amazon)の単行本が出ていたそうなので,こっちもいいなあ。澁澤さんの本て,ほとんど文庫で持ってて,いつか全集も揃えたいけど,単行本もひとつひとつ装幀が素敵なので手放せないんですよねー。特に『フローラ逍遥』とか新編ビブリオテカが好き。

『日本の国宝、最初はこんな色だった』

♪最近はお昼休みにたまった図録を読んで,電車はバッグに入る文庫や新書にしてます。一時期雑誌ばっか読んでたけど,すっかりサッカー雑誌を買わなくなちゃって…。いやあんまりミランのいい記事が出ないんでー(そーいえばCWCは1年前だったなあ。2年くらい経ってるよーな気がする…)。フィギュア雑誌は月刊でさえないし。文庫新書はSW本の新刊が止まってしまったんですけど。←書きそびれた『デス・スター』は面白かったです。デス・スターの中にはちゃんと生活してる人たちがいたのだー。
 で,本題です。なんか軽くて面白い本ないかな~と本屋の平積みから手に取った『日本の国宝、最初はこんな色だった』(小林泰三 著,光文社新書)が,とっても面白かった。HOW TOというか実践的なことを語ってるようで,最終的には日本美術論みたいになってるの。著者はもともと印刷会社の人なので(学芸員の資格あり),復刻にあたって主観的に進めるのではなく,専門家を取材したり検証して,(色とか形とか)こんなんでいいのかな~と内心思いつつ仕上がるとなるほどこういう意味・意義があったのだというのがわかる。洛中洛外図や絵巻のズームインの視点は復刻の作業がなくても気が付くんじゃないかな~とは思うけど,デジタルならではのシミュレーションによって絵巻を実際に繰り出しながらその現れる絵の移り変わりによって動きや迫力を感じさせる効果的な手法(たなびく幟など),屏風に仕立て上げられてしまった襖絵を襖に直し枠を付けたり屏風のように曲がらない画面で見たり,今度は二隻の屏風絵を曲げて並べ,下から見上げる実際の視点で見直すことによりその遠近感の意味に改めて思い当たったりというのが楽しい。そー思うと先日のフェルメール展の全作品フルサイズ掲示とか(行かなかったけど)エプソンが「美の巨人たち」のスポンサーだったときの実物大プリントとかデジタルが十二分に活用されてますよねー。
 もうひとつ,ピカソ展のとき書き忘れちゃったんだけど,男性誌の美術特集ってすごく面白い。ピカソだとPen,琳派だとBRUTUS。美術誌とはひと味違った切り口や論者で読みものとしても楽しいの。

♪著者の小林さんにコメントをいただいてしまったので(きゃー),Webサイトをリンクしまーす。

ゼッフィレッリ自伝

♪すごく面白いというので貸してもらって分厚い文庫(637P)をすごい勢いで読みました『ゼッフィレッリ自伝』。勢いといっても先を急いで流し読みはできないの。ゼッフィレッリは私生児でその名前の由来だとかヴィスコンティの助手をしてたくらいは知ってましたが,パルチザンだった戦時中だとか人生の真骨頂での壮絶な事故だの,とても一人の人生とは思えないくらいひとつひとつのエピソードが濃くてまたその語り口が面白い。また彼自身だけでなく,ヴィスコンティ,マリア・カラスやアンナ・マナニャーニ,ローレンス・オリヴィエ…などの飾らない素顔は彼らの評伝ではとても語られないような率直さです。ゼッフィレッリのイギリス,シェイクスピアへの傾倒はイギリス人家庭教師の存在にあったとか,彼の人生がことごとく作品に反映されているという,経験が作品を作ったというのもあるのだろうけど,最後に方法論的に「革新的と思われる多くのアイディアは,本当は芝居やオペラの中に埋め込まれていてすでにそこにあるのだ。演出家が革新的と呼ばれるに値するのは,作家が作品を書いて以来誰も見ようとしなかったものを発見したときだけなのだ」と,オリジナルの創出ではなく“演出”とは何かというのを彼が意識的に行っていたのだというのが語られます。三浦雅士さんのインタヴューが再録されているのも素晴らしい。